アーカードVS長谷川虎蔵

394 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 00:32
アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』 導入
 
 ――――とある花街、名も知らぬ遊郭で事件は起きた。
 
 花街の客を装った吸血鬼により、大規模な吸血鬼禍(ヴァンパイア・ハザード)発生。
 遊女、客を中心に吸血による転向者多数。
 現在、当該の吸血鬼は遊郭に立てこもって遊女達の血を啜っているとの事。
 ターゲットの名はクイン、アメリカから流れてきたチンピラ吸血鬼らしい。
 
 花街は、まさに混乱のるつぼへと叩き込まれていた。
 「なった」ばかりで、血の渇きを抑えきれない転向者達が更なる犠牲者へと牙を剥く。
 いくら親が死ねば戻れる段階とはいえ、あまり放置しておくのも被害の拡大に繋がる。
 よって、混乱の最中に赤黒い影に頭を吹っ飛ばされ、心臓を抉られて滅びる転向者達がいた。
 
「数が多い。雑魚にばかり構ってもいられんな」
 
 親となる吸血鬼が逃げ込んだとされる遊郭の方へと視線を向けて、アーカードが呟く。
 逃げまどう人々へ真っ向から対峙しているかのように、人をかき分けて頭一つ抜けたアーカードは歩く。
 道すがらに、転向者達を滅ぼしながら。
 追う者追われる者一緒くたの海を泳ぐように。
 
「……ここか」
 
 目的の遊郭の入り口で立ち止まり、建物を見上げる。
 ここらでも一際目立つその建物の中に、吸血鬼がいる。
 くつくつと喉を鳴らし、建物の中へと一歩踏み出した。
 
「退屈だけはさせてくれるなよ」
 
 死体を貪っていた転向者をジャッカルで射殺し、更に奥へと進んでいく――――。

395 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 00:48
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>394
 
「偶に羽根伸ばそうって来てみりゃあ。――何なんだ一体」
 
 そんな事を呟きながら、群集を掻き分けて進む男が一人いた。
 方向は逃げ散る流れと逆に、即ち騒動の中心へと向かっている。
 
 長身の男だ。見かけはまだ若い。
 造作そのものは端正だが、女性的な柔さとは無縁の精悍な顔付きである。
 長髪を背に流すロングコート、スーツにネクタイ。全て黒であった。 
 物凄く面倒臭そうな光を点す瞳は一つきりだ。右眼は眼帯に覆われている。
 
 随所に点在する死体の幾つかと、時折見え隠れする牙持つ人影を視界に入れ、男は
うんざりしたような面持ちで頷いた。
 
「こんなとこで吸血鬼禍起こすかね。最近の成り立て(ニューボーン)は、どうにも品が無いな」
 
 いかんね、と云い様、地面に視線を落とす。その表情が訝しげに顰められた。
 死体である。何体もあった。
 左胸に巨大な空洞が開いているもの。下顎から上が無いもの。頭部だけのもの。
 血臭と同量の硝煙に塗れるそれらを、男は吸血鬼に成りかけて成り損ねた残骸と認めた。
 
「そんじょそこらの吸血鬼の仕業じゃねえ、と。随分とまあ剣呑なニオイだ」
 
 男は顔を上げた。左眼は屍と血で舗装された道の先を見つめている。
 酷く凄絶な眼差しであった。
 
 
「……で、結局行く先までおんなじかよ。何つーか、何てんだ。ツイてねえなぁ」
 
 暫くの後、元々目指していた遊所の店先に立ち、隻眼の男はぼやきながら嘆息する。
 数ある異名を世界の暗黒街へ轟かすこの男の今一つの名は――長谷川虎蔵と云った。

396 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 00:49
>>395 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 ――――――――十数分後。
 
「――――フン、これだけの騒ぎを起こすからどれだけ骨のある奴かと思ってみれば、唯のチンピラか」
「あ、アーカード……クソッ! 何でこんなとこに……」
 
 一人の女性――既に目は朱く、牙は鋭く――を腕の中にかき抱きながら、クインが呆然と呟く。
 真逆、こんな極東の国に逃げてきてまで大英帝国が擁する最強の吸血殲鬼と出会ってしまうとは。
 アメリカでヘマをやらかし、ヴァチカンへの尻尾切りとしてフロストの一派から離脱させられた。
 それから必死で奴らの手から逃げ回り――戦って勝てる相手ではない――この極東へと流れ着いたのだ。
 ここなら、この国ならヴァチカンの手も及ばないと及ばないと思っていたのに……何故ヘルシングが?
 そもそも、この騒ぎは何だ? 何故、たかだか一人つまみ食いしただけでこんな事態になっている?
 しかも、その首謀者がなし崩しに自分という事になっているらしい。
 一人吸ったというのならば確かにそうだが、それにしても不理解に過ぎる。
 その一人は、未だ路地裏で転化の痛苦にのた打ち回っている筈なのに。
 
 しかし、現実はそのような事情になど構ってくれはしない――さりとて、まだ諦めるには早い。
 最強の吸血殲鬼、ヘルシングのジョーカー、不死の王アーカード。
 まともに戦えば勝ち目はゼロにも等しいだろう……だが、この人質を使って逃げる事ならば?
 藁より細く脆い希望であっても、そこに縋らずにはいられないのが生ける者――死んでいるが――の性。
 
「おい、いいかアーカード。妙な真似はするなよ? アンタだって、生存者は多い方がいいはずだ。
 下手に動くと、この女が……ッ」
「五月蠅い」
 
 クインが全てを言い終える事はできなかった――理由は二つ。
 一つは剣呑な銃声が続く声をかき消したからであり、一つは声を出すべき頭が欠けたから。
 音もなく、まるで気が付けばそこにあったかのような454カスール改造銃の硝煙漂う冷たい銃口。
 轟音を響かせて空を裂く爆裂鉄甲弾は、狙い過たずに頭一つ高いクインの頭部のみを撃ち砕いていた。
 血と脳漿が盛大に弾けて室内にぶちまけられ、ゆっくりとその巨体がくずおれてゆく。
 腕の中の女がゆっくりと畳の上に倒れ伏した。

397 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 00:49
>>396 続き
 
「雑魚が私と取引だと? 思い上がるな。おまえに選択権など始めからない、私に敵対した時点でな」
 
 銃を懐にしまい、倒れている女の方へ視線を向けて……表情に困惑を浮かべた。
 親は確かに死んだ、そして時間的にもまだまだ余裕はあったはずだ。
 だが、薄く開かれた目の奥から覗く瞳は朱い光を放ち、唇からは鋭い犬歯がちらりと顔を出している。
 
(――――どうしてこの女は未だ『吸血鬼』なのだ? 否、どうして既に『吸血鬼』になっているのだ?)
 
 通常、吸血鬼に血を吸われた人間はまず吸血鬼に「なりかける」。
 その程度は様々だが、意志なき食屍鬼から数年掛けて吸血鬼へと変貌していくケースが多い。
 今回殲滅した吸血鬼はそうではなく、割と早い段階でなってしまうケースであるようだ。
 だからといって、たかだか数時間で完全になってしまうケースなど、アーカードは聞いた事がない。
 例外はいつだってあるモノだが……。
 
「……仕方あるまい」
 
 懐にしまった銃を改めて抜き、うつろな表情をしている女の頭部へポイント。
 吸血鬼になってしまっている以上、生かしておくワケにはいかない。
 婦警のような例外はそうそうありはしないのだ。
 
「呪うなら我が身の不幸だけを呪うのだな。おまえはそれ以外何も悪くはないのだから」
 
 銃口が、冷たい銀光を眼下の女へと投げかける――――。

398 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 00:52
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>396 >>397
 
 軽い擦過音がした。
 ほの明りが灯って消える。マッチの火だ。
 
「とうに苦界へ堕ちてる女に、今更そういう物云いはちっとばかり野暮じゃないか?」
 
 からかうような声が、紫煙を混じらせて入り口辺りから漂って来た。
 散らばる障子の残骸を踏み、柱に背を預けた男が紙巻を吹かしている。
 長谷川虎蔵であった。
 
「ま、手前ぇら吸血鬼に粋だ何だと説いたって、そりゃもう時間の無駄だろうが。
 にしてもな、色里へ泥靴で上がって暴れ散らした挙句、女郎にてっぽー突きつけてんじゃ
ねーつうんだ」
 
 尤も虎蔵自身も土足ではあるのだが。
 左眼だけを横にやり、素早く室内を見渡す。
 散乱する夜具やら調度品、血溜り、そして巨大な拳銃を構える紅い男。
 芬々たる死の臭いの元凶はこいつか、と虎蔵は胸の内で毒突いた。
 
 もう一つ――その銃口の下、伏したまま夢見るような面持ちを湛える遊女。
 眼は赤色に潤み、口元には八重歯にしては長すぎる白さが零れている
 抜けるようなその肌の色は、決して白粉だけの所為ではあるまい。
 
 虎蔵は煙草を口に戻した。もう一服。
 煙を天井へ吐いてから第一な、と続ける。
 
「そこの朱乃は、これから俺と一戦交える女だ。手荒くしてくれるなよ」
 
 隻眼が男を射る。次第に細まっていく。
 煙草の先端で一筋、幽かな紫電が湧いた。

399 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 00:52
>>398 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 背後から掛けられた声に、すっとアーカードの目が細まった。
 漂ってきた一筋の紫煙に隠された口元が、笑みに歪む。
 
「これは失礼。屋内で土足を脱ぐという極東の習慣にまだ慣れていないモノでな」
 
 首を前に向けたまま、何処かからかうような調子を含んだ声で反駁した。
 その間も、銃口の単眼は女の頭部を一瞬も逃さずに睨み付けている。
 「なってしまった」自分の身体にまだ馴染めないのか、女の方は倒れたまま動かない。
 向けられた銃口にも気付いていないかのように、だが新たに現れた男に対しては微かな反応が見えた。
 その様子に気付き、男への興味が更に募る。
 
「おまえ達は知り合いか。なるほど、それは無碍に見捨てるワケにもいくまいな」
 
 だが、とアーカードは続ける。
 
「私の仕事はゴミ掃除だ。そして、吸血鬼と化してしまったこの女はゴミだ。
 今はまだいいだろう、だが、直に血の渇きに耐えられなくなる、殺したくてたまらなくなる。
 ――――血を啜りたくて疼くようになる。
 情事の最中にすら、おまえの首に牙を突き立てたくて仕方なくなる」
 
 一つ言葉を区切り、首だけが後ろへと傾く――朱い光を放つ瞳が片方、男へと向けられる。
 
「そうなったら、おまえはどうするね?」
 
 口元には、嘲笑を思わせる形に笑みが深く刻まれていた。
 剥き出しの牙が、白く光る――――。

400 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 00:54
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>399
 
 嘲りを、虎蔵は鼻先で笑い返した。
 
「やっぱりあれだ、新生者(ニューボーン)も長生者(エルダー)もあったもんじゃねぇ。
 お前ら吸血鬼はどいつもこいつも野暮天だ」
 
 躯ごと、静かに吸血鬼へ向き直る。
 正確には吸血鬼“達”だ。床から見上げる赤い目線へ、眼だけで軽く応じる。
 上がる隻眼が鈍く輝く巨銃を、禍々しい牙を、そして嗤う瞳を順繰りに見遣った。
 
「紅い渇き? 殺したい、啜りたい? 床ん中で牙立てるかも?」
 
 口の端が歪む。多分相手と同じく、笑いなのだろう。
 その貌は何か別の生き物のようで――眼前の怪物が浮かべる表情と何処か似通っていた。
 
「馬鹿。だから、良いんだよ。
 その程度のヤバい女抱けなくて、男の甲斐性なんざ語れんだろうに」
 
 両手を脇に垂らしたまま、黒衣の男は立っている。
 その身に寸鉄も帯びているとは思われない。精々左の指が摘んだ煙草くらいだ。
 そこから流れる煙に乗って僅かな、だが剄烈な鬼気が一筋、吸血鬼へと流れた。

401 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 00:54
>>400 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
「ほう」
 
 男の返答に、一つ感嘆を含んだ声を漏らす。
 男の剛胆に感心しているのか、表情にも僅かに賛嘆の色がある。
 もっとも、それも深く凄惨な笑みの中に埋もれてしまうが。
 
「さて、それは困った。おまえはこの女に手を出すなと言う。だが私の仕事はゴミ掃除でね……」
 
 一度、銃口を女から外して男の方へ全身で向き直る。
 朱と黒の二色で構成されたその姿は、漂う鬼気を受け流して揺らぐ様子もない。
 少し離れた男へと歩いていき、すれ違う間際で踵を鳴らして立ち止まる。
 男の真横から、血の臭いが漂う吐息と共に最後の問い掛け――闘争への引き金――を行った。
 
「助けたければ、私を打ち倒せ」

402 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 00:55
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>401
 
 横から吹き返って来る殺気の対流に乗るかのように、煙草を挟んだ指が持ち上がる。
 自然極まりない動作だ。
 ああ、とまだ笑みを浮かべたままの虎蔵は突きつけられた“引き金”を――
 
「じゃ、そうするかね」
 
 “引いた”。
 
 小爆発は、石火の暇(いとま)すら与えぬ間に起こった。
 指先で弾いた煙草が、灼熱の雷震と変じて吸血鬼に襲い掛かったのだ。
 陰陽五行で云う“木”気、最前煙草に込めておいた雷(いかずち)を解放したのである。
 五行の則を縦横無尽に駆使する事こそ、長谷川虎蔵の尤も能くする所であった。
 
 コートが黒翼の如く翻る。
 火風を避け、同時に虎蔵は室内へ飛び込んでいた。
 こんな狭い空間でこんな技を揮えば、助けるべき朱乃の身にまで害を及ぼしかねない――
そんな思考はこの男にはない。
 余波には巻き込まれるかもしれないが、今の彼女は人外の世界に足を踏み入れた存在だ。
 常人とは比較にならない耐久力を得ている筈だし、第一もう“死んでいる”。
 冷徹とも無情とも評しようがない、凄まじいまでに割り切った行動と云えた。
 
 ともあれ雷鼓の余韻鳴り渡る室内を、護るべき女人へと虎蔵は跳ぶ。
 爆風に煽られ、朱乃の躯は窓際まで叩きつけられていた。

403 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 00:56
>>402 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 狭い室内を雷鳴が鳴り響き荒れ狂い、アーカードを打ちのめす。
 その奔流に身を灼かれ煙を上げながらも哄笑。
 半身が吹き飛ばされ、明らかに心臓が消し飛んでいる状態で嬲られて吹っ飛ぶボロ切れは嗤う。
 
「そうか、人間ではないなおまえ? 土着の自然霊の一種か。
 それが人に紛れて生きていると、なるほどなるほどおもしろい」
 
 受けた一撃から、そう判断した。
 これほどの雷撃、人の身にすぐさま操れるモノではない。
 人が身につけた魔術とは一線を画す、生粋の雷。
 
「何を思ってその身を人にやつしているのか、興味深いことではある」
 
 宙を舞いながら、女へと向かう男にジャッカルの銃口をポイント。
 室内と室外、それを隔てる僅かな隙間を縫うように、その照準は正確の極み。
 
「事が終わって口を利く元気があったら聞かせてもらうとしよう」
 
 トリガー、雷鳴響く空間をよりいっそう強く自己主張する銃声が切り裂く。
 まっすぐに、自分に対して背を向けている男の背中へと直進していった。
 
「敵前で背を見せていていいのかね?」
 
 自らの非常識さを棚に上げて、愉快そうに揶揄する。
 誰もが、この状況で背後から狙われることなど想定すまい。
 壁に叩きつけられたところで着地、全身から煙を上げて再生を続けるボロ切れが室内へと歩き出した。

404 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 00:57
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>403
 
 虎蔵は片膝をついて着地した。伏した朱乃の前である。
 唸る銃弾を知ってか知らずか、背を向けたまま右手を畳へ振り下ろす。
 
 途端、虎蔵の真後ろの畳が撥ね上がり直立したのである。その向こう、そのまた向こうと
陸続し、瞬く間に部屋の半分は畳の林と変じる。黒コートはその中に埋没した。
 如何なる力学の作用を働かせたか、乱立する畳返しの秘技であった。
 尤も弓矢なら兎も角、巨銃の咆哮の前には所詮薄紙の守りでしかない。
 畳の壁は悉く鋼鉄の銃鳴に粉砕され、木っ端微塵に裂かれた。
 
 硝煙と共に乱舞する井草の残片の中にあるのは、しかし横たわったままの朱乃だけだ。
 彼女は奇跡的に銃火を逃れたと見えるが、黒い風来坊は影も形もない。
 
 声だけが、フィルムの逆回転めいて復元していく吸血鬼の脇からした。
 
「余所見よりはマシさね」
 
 その言葉が終わらぬ内、灼き金の如き刃筋が空を走った。
 忽然と横手に現れた虎蔵が、羽ばたくような逆袈裟斬りを繰り出したのだ。
 諸手がそれぞれ握る日本刀は両の腰から抜き払ったものである。――文字通りの丸腰から。
 
 常軌を逸した容量の武器を躯の隅々に隠し持つ暗器術、その精髄を駆使した双刀居合が吸血鬼の
腕を胸を切り刻まんと閃く。

405 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 00:57
>>404 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 舞い散る井草の霞の中で振るわれる一閃、断ち切られる朱黒い生命体。
 腕が斬られて刃は止まらず、そのまま胴体を袈裟懸けに切り払う。
 剣風に押されて宙を刎ね飛ぶ腕、ずり落ちていく胴体――どさりと床に上半身と下半身が落ちた。
 血しぶきが井草吹雪に彩りを添える。
 振り切られた刃は、間違いなくアーカードの身体を寸断していた。
 
「見事」
 
 ――――しかし、うつ伏せに落ちた上半身が顔を上げて嗤う、あまつさえ賛嘆の言葉を掛ける。
 表情に苦痛はなく、怒りもなく、唯歓喜。
 自らがこしらえた血溜まりの海の中で、アーカードは確かに喜んでいた。
 血塗れの惨劇に、それを作るほどの男の腕に。
 
「では、私も一つ芸を見せるとしよう」
 
 宙を舞っていた腕が、慣性にも重力にすら逆らってその動きを止めた。
 と、腕全体が色彩を失って漆黒へと変貌し……次にはバケモノへと変じていた。
 掌を顎とし、指の先端に目の付いたバケモノ――バケモノとしか形容しようのない何か。
 それが大口を開けて、男の喉元へと噛み付こうと宙を走る。
 
 気が付けば、上半身も下半身も何処かに消え失せていた。

406 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 00:58
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>405
 
 冴えた調べが湧いた。
 腕と眼球と牙をこね回し、暗黒をまぶして形成された“何か”を、虎蔵の左手にあるものが
迎え撃ったのである。
 刀ではなかった。
 数珠だ。ただし一顆は赤子の頭ほどもある。
 段平から瞬く間に千邪万刃を避く霊宝霊珠へと変化し、黒衣の周りを巨大な円となって巡った
それが、闇色の一噛みを受け止めたのであった。
 
「やー面白い面白い。あんた、芸が細かいな」
 
 居場所は知らず、形影を闇と一にした吸血鬼へ虎蔵は云い放つ。
 軽口を叩いてはいるものの、その額には冷汗が浮かび、片手で押さえた数珠は小刻みに震えている。
 ぴしり、と霊珠に亀裂が刻まれた。
 食い込んで離れない顎が、珠を噛み砕かんと更に深く牙を突き立てたのである。
 隻眼が流れる。急速に暗転していく周囲の闇の中から、そこだけ取り残されでもしたか
のように横たわったままの女を捉え、安否を確かめてすぐ戻った。
 視線が交差した。
 一つしかない瞳と、おぞましい塊の指先それぞれに浮かぶ複数の眼とが。
 眼差しは逸らさない。切先も化物の凶眼に据えたまま、寝かせた右の刀をそろそろと後ろに引いた。
 また音を立て亀裂が深まる。
 
「面白すぎて俺、木戸銭踏み倒してケツまくりたくなって来たよ」
 
 弱音とは裏腹に、虎蔵は思い切り剣尖を突き込んだ。

407 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 00:59
>>406 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 男の剣が、闇の腕に突き込まれる。
 ゼリー状の液体に棒を突っ込んだかの様な音、手応え。
 それに、闇の腕がびくりと震えた。
 尾を引く闇をばたつかせ、無数にある目を大きく苦悶に見開いている。
 だが、数珠に食い込んだ牙は緩まるどころか、むしろ苦痛を糧として一層強く食い込んでいく。
 そこへ追い打ちとばかりに潜り込んだ刃を横に一閃、斬り払われた闇は断末魔を上げる事なく霧散した。
 だが、牙を力の限りに打ち込まれた数珠にはヒビが入り、割れていく音は間断なく大きくなり続ける。
 おそらくは後一撃も保つまい。
 
「お褒めいただき、誠に重畳」
 
 声は、部屋の何処かからした。
 それが合図であったかのように、部屋にわだかまる闇が蠢き出す。
 ざわり、という音、影から影が這いずり出て部屋を蹂躙し始める。
 数秒と経たずに、部屋はおぞましい漆黒で塗り込め尽くされた。
 闇は時折その姿を狗に、目に、名状不能の何かに変えながら男を睥睨する。
 闇が渦巻きながら混沌を成そうとするかのように男の周りにわだかまり……。
 轟、と闇が男の足下から狗の顎を形取って隆起し、その暴力が数珠へと叩きつけられる。
 破砕音すら風を潰す音にかき消されて聞こえないまま、数珠は粉々に砕け散った。
 
 そして、それが始まりの合図となった。
 
 闇から次々とコウモリが発生して羽音が室内に充満する。
 聞く者の耳を聾する音の圧力が、全てを圧倒せんとするかのように次から次から次から次へと。
 羽音に紛れるかのように、肉食獣の低い唸りが四方八方から流れてくる。
 世界が赤黒く染まり、世界が男に殺意を向けながら欲情し歓喜していた。
 
「拘束制御術式、三号二号一号、解放」
 
 コウモリの幕を切り裂くように、狗達が三匹、男に牙を剥いて飛びかかる。
 口蓋から飛び散る飛沫は、血の色をしていた。

408 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:00
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>407
 
 その赤色は更に深まった。
 数珠の護りを砕いた獣達の内、真ん中の一匹が頭頂から胸まで縦一文字に裂け、血飛沫を
振り撒いたのだ。
 床を蹴った虎蔵が、黒犬獣と交差し様に放った唐竹割りの仕業である。
 闇に上塗りされた血汐には、斬殺者自身の血も含まれていたが。
 
 獣の呻き。
 それもまた虎蔵のものだ。
 
「この使い魔(ファミリア)」
 
 軋るような声を絞り、牙剥く無明の闇を駆け抜ける虎蔵の手に愛刀は無い。
 それは背後の畳に転がっている。取り落としていた。
 太刀は一匹を確かに斬った。が、その左右の犬――としか形容できない魔獣どもは、それぞれ
右の二の腕と左肩の肉を噛み千切ったのであった。
 
 部屋に充ちる真っ黒い何かは、獣臭く、血腥く、それ以上に名状し難い。
 闇が発する吐息だ。
 躯中を貪ろうとする蝙蝠の群れの只中を突っ切り、虎蔵は鮮血に塗れた右手を口元へ遣る。
 最前の出鱈目な巨大銃、昏闇そのものの魔怪、そして溢れ出す邪気、魔気、妖気。
 人に非ざる脳内神経回路網を幾つものイメージが巡り、結果複数の名が呼び起こされた。
 
 真祖、人形(ひとがた)を取った闇、夜の征服者(コンキスタドール)。
 吸血鬼を狩る吸血鬼。
 
 袖から飛び出す日本刀の柄を咥えて即、バックステップ。
 口で抜刀した勢いのままに、捻った躯が旋回する。
 異名の数々を統合すべき今一つの名を叫び、虎蔵は届く範囲の妖物全てへ刃を薙ぎ返していた。
 
「――不死の王ッ!」

409 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:00
>>408 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
「知っているか。光栄の極みだ」
 
 言葉に含まれた悦楽の成分が、聞く者の耳朶に溶け込むかのよう。
 裏社会の裏側までを知悉した者であれば、その名を耳にしていたとしても何の不思議もない。
 日を浴びても滅びない、心臓を貫かれても滅びない、十字架を恐れない、聖句に耳を背けない。
 流れ水を渡る――とにもかくにも死なない。
 死を超越した「不死の王」、英国王立国教騎士団の走狗で殲鬼、アーカードの名を。
 
 部屋を塗り潰す闇は未だ濃く、血生臭く、死の色を滲ませ。
 吐息の音が四方八方から響き、視線の気配が沸いては消える。
 一瞬たりとも同じ顔を見せず、流転し流転し流転する。
 男が薙ぎ払い散らした形ある闇達も、すぐにまた闇へと還っていく。
 真に正しくいたちごっこで千日手。
 闇が獣を繰り出し、男が撃退する、今はそれが続くだろう。
 だが、生ある者は疲弊する、肉体的にも精神的にも。
 死せる者は疲弊しない――生そのものに疲弊することはあっても、だ。
 
 斬、と犬としか形容しようのない生物が斬られ、鈍、と蝙蝠らしき物体が潰される。
 縦横無尽に荒れ狂う男の様に、アーカードはなお嗤う、嗤笑する。
 
「さて、ではおまえはその不死の王を前に、どのように立ち向かうのだ?」
 
 声は何処までも悦楽を含み、敵意の欠片も感じられない。
 だが、それでもこの闇の具現は、男を犯し破壊し殺し尽くしたくてたまらないのだ。
 完膚無きまでに解体された肉の山に顔を埋め、その血肉を啜りたくてたまらないのだ。
 今は、それをより美味くいただくための調理の途中。
 アーカードの繰り出す攻撃の全てが、男の振るう腕が刀が、全てがそのための贄。
 
 轟、と腕が一ダース、闇から唸りを上げて男へと迫っていく。

410 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:01
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>409
 
 斬り捨てた何匹目かの陰獣を踏みにじり、虎蔵の体勢は止まった。
 荒い息の合い間から、群がり来る十二の手を迎えるようにゆらり、と双腕が持ち上がる。
 血汐が雫を散らし、虎蔵の顔は歪む。噛まれた疵は深い。
 腕をそのまま上になら“お手上げ”。だが無論方向は違う。
 
「むぅん!」
 
 気合い一声、開いた両手は真横に広がった。
 と、長大な棒が幾つも幾つも、黒衣の背の向うから突き出たのである。
 尖端には鋭い鋼――放射状に並ぶ物騒な光背は、全てが槍また槍だ。
 
 朱塗り、片鎌、十文字。十本を越す長柄の穂先は一斉に光を発した。
 鋭利ゆえの光沢ではない。火花が生じ、育まれた紫電が鋼と鋼の間を繋ぐ。
 
「こうやって一気に丸ごと、な」
 
 まだ刀を咥えているにしては随分と明瞭な発音で、虎蔵は断言する。
 ひん曲げた唇が刻むその表情。
 笑いにしては凄惨すぎるが、笑い以外の何物でもない。
 そして怒声は、形容でなく爛々と輝く隻眼から発せられた――かとも思われた。
 
「――屠る!!」
 
 最初に目も眩む閃光が、次いで音がやって来た。元始、初めて人が言葉に変換した音だ。
 
 いかづちが、
 
 どん。
 
 
 『どのように立ち向かう』のかという、質問の形を取った嘲弄に対する、行為を以ってしての
解答である。
 それは、虎蔵が己が武具より放った破魔の雷は、襲い来たる闇の怒涛だけに止まらず壁を天井を、
そしてこの建物そのものを初源の白に染め変えて後、消して砕いた。
 
 秒単位で計れる間の出来事であった。

411 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:02
>>410 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 世界が、白い轟音と閃光に塗り潰された。
 
 雷光は破壊の槌を振るい、部屋を破壊し、辺りを破壊し、不死の王を破壊する。
 耳を聾する爆音は、もはや生物の可聴域を越えた段階に達して荒れ狂う。
 赤黒いバケモノは、白の向こう側に焼かれて壊されて霞んで消えた……嗤いながら。
 
 屋根が消し飛んで、漆黒の夜空が姿を現した。
 夜空に輝く星は、地上よりの光にかき消されてさほど輝いていない。
 今はむしろ、雷帝の光こそが全ての光を凌駕してそこにあったが。
 そんな中でも、中空に鎮座する真円の月だけは、負けじと威容を誇って月光を投げかけていた。
 
 禍々しく――月下の不死の王を祝福するかのように。
 
 暴力が止み、辺りには静寂が戻ってきた。
 とはいえ、吹き荒れた暴威の爪痕は生々しく一帯に刻まれている。
 室内であった筈のそこは、吹きさらしの屋外へと変わり果てていた。
 男の放った雷挺が、如何に圧倒的で絶対的だったかを示すかのように。
 
 その中心――爆心地に、黒スーツの男が一人。
 破壊など何処吹く風といったように、白に支配される事なく黒。
 悠然と立っているように見える男の腹から……朱い腕が生えていた。
 塗れた朱、血の朱、生命の朱。
 つまり――男の背後に屈んだ状態のアーカードから腕が伸びて体内へと消え、腹から姿を現していた。
 もう片方の腕に、未だ胡乱な目をした女を抱き抱えながら。
 
「女の扱いが悪すぎる。如何に不死者の門を叩いているとはいえ、あの破槌の中では生き残れん」
 
 焦げた頬をパラパラと崩れ落ちさせながら嗤い、言葉を紡ぐ。
 全身に負った重度の火傷は、並みの生命体なら炭化した塊となって死んでいる。
 ましてや破魔の雷、ひとかどの不死者とて塵と化していたに違いない。
 その破壊を、炭化した人柱に成り果てても、アーカードは生き延びた。
 女の方は……ほぼ無傷だ。
 女を蹂躙する筈だった暴力のほとんどを、不死の王たるアーカードが引き受けたからに他ならない。
 
 別に女を助けた事に、大して意味はない。
 強いて言えば、この女が死ぬ事で男の戦意が萎える事を危惧しての事だが、恐らくそれは要らぬ心配だ。
 女の為に戦えても、女の為に死ぬ奴ではあるまい。
 ならば何故、と問うても答えはきっと帰ってこない。
 アーカード自身も、答えを自分の中に持たぬが故に。
 
 女をやや乱暴に放り投げる、受け身を取る気配もなく床に叩き付けられる女。
 腕を捻り、引き抜く……男から吐血の気配。
 血塗れの腕を舐めながら、なおも頬を歪める。
 舐め取られた血の下から、漆黒のなめした革の拘束衣が顔を出している。
 空いた腕に改造銃を抜き、傷口へ抉り込むように銃口をねじ込んだ。
 
「まだどれだけのカードを隠し持っているか知らんが……出し惜しみだけはしてくれるな」

412 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:03
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>411
 
 今し方とうって変わり、今度は虎蔵の方が身を屈めた。
 膝をつく。大量の血塊と苦悶の声が一時に口から溢れる。
 穿ち貫かれた疵を更に銃口で嬲られ、それでも軽く笑って呟いたのは、これは余裕ではない。
 
「手札出せってな――サマしか揃わん賽振りくさる、手前ぇら僵尸が云う台詞、か」
 
 人も人外も問わず、押しなべて百遍は殺せる猛打を涼しい顔でやり過ごす。
 長谷川虎蔵を以ってすら、苦笑するしかない相手と云うのも世に、いや夜にはいる訳で――
 そして銃声、と云うよりもう砲撃音だ。兎も角それが跳ね返った。
 
 放たれた巨弾は夜気をぶち抜き、黒衣をもぶち抜いて虎蔵を吹き飛ばした。
 
 虎蔵の体勢は傾ぎ、そのまま急速に沈み始めた。
 大地に転がる。
 鉄火の牙が食い千切っていった痕は、向こう側が見えそうな、と云う表現では過剰どころか
全く言葉が足りない。
 正確に云うならば、腹の辺りが半分程“無い”のだ。
 それきり虎蔵は動かない。伏したままである。
 
 動かないその躯の下の地面が、静かにどす黒く染まって行く。
 噴き出す血だ。躯中の穴という穴から、特に今腹に開いたばかりの大穴から。
 どくどくと流れた。後から後から流れた。きり無く流れた。
 流れ続けた。
 
 それでも虎蔵は動かない。
 動けないのかもしれず――もう動く事は無いのかもしれず。

413 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:03
>>412 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 ボロ屑に成り果てた男を見下して、冗談でも吐くような調子で語りかける。
 
「いやなに、イカサマの上手さで言えば人間達も大したものだと思うのだがね。
 おまえが通り一遍の人間であるかどうかはさておいて、だが」
 
 血に染まり、血だまりで藻掻くその姿に、果たしてイカサマを打つ余力が残っているのか。
 それでも相手のイカサマを信じて、アーカードは笑い。
 相手の反撃を期待して、男の側へと歩み寄る。
 下界の喧騒など何処吹く風の静寂に、靴音を高く響かせながら。
 
「とはいえさすがに辛いか」
 
 気遣う言葉を吐きながら、足元を指向する二挺の巨大拳銃。
 ボロ屑を塵に還すには過剰にすら思える暴力を振りかざして、なおも期待は揺るがない。
 心の中で――逆境を覆せ、致命傷を乗り越えろ、立って反撃しろ、私を打ち砕け――と叫ぶ。
 拘束衣のバケモノは、嗤いながらトリガーを引く、引く、引く引く引く引く。
 
 爆音にも似た銃声が、六つ。

414 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:04
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>413
 
 先ず、頭部が熟柿のように砕けた。
 次いで胴体も後を追い、両手両脚と一緒に赤い残片となった。
 
 銃弾六発と虎蔵だったもののなれの果て。貸借の仕訳勘定はぴったり合っている。
 
 ならば何故、放り捨てられた朱乃は笑っているのだろう。
 しどけなく開けた口から小さな牙をこぼし、痴呆めいた微笑を空に送っているのだろう。
 
 月が翳っているからだ。
 ぬばたまの翼が、月光を遮っているからだ。
 黒衣の背より生えたその翼を一杯に広げ――
 長谷川虎蔵が天に在るからだ。
 
 地には死骸など影も形も無い。木切れらしい破片が幾つか転がっている事だけが、巨弾は確かに
何かを破壊したのだという、甚だ不明瞭な立脚点であると云えた。
 そう。これはイカサマに他ならない。
 吸血鬼の銃二挺が喰い散らかしたのは虎蔵ではない。どこに隠し持っていたかと問うも愚かしい、
一本の丸太だった。
 己の代わりに斬らせ、或いは撃たせて相手の眼をまんまと眩まし、虚実混交の内に反撃に転ず、
これぞ長谷川虎蔵一流の変わり身の術。
 
 とは云え最初の一発は、これだけは現実に腹部を貫通していたらしい。
 ごっそり抉られた腹からだけ、向こう側の蒼月が窺える。
 虎蔵は動かず、上空十数メートルの一点に停止したままだ。
 歩き、笑い、銃を撃ち、あまつさえ死んでいるのに死なない。――眼下の“地獄”そのものの
立ち姿を、どんな表情で睥睨しているかは、片手で左眼の眼帯を覆い、乱れ髪を風の荒びに任せて
いる所為で他者には判らない。
 そこから、切るぜ、という呟きが落ちていった。
 
「望み通りに、俺の持ち札全部な」
 
 羽ばたく翼が倍も巨大に膨らむ。
 黒羽の舞い散る中、怒声と同時に稲光りが天に刻みを入れた。
 
「――切ってくれるわ!」

415 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:04
>>414 続き
 
 白と紫の白熱が黒衣の全身で千々に躍る。
 押さえていた眼帯が消し飛んだ。左眼――のあった箇所を縫っている、幾本の紐までも。
 顔中の血管を浮き出させた、獰猛なまでの悪相が四肢を捻って悶える。
 耳まで引っ裂けた口で、穿たれた疵痕で、そして左眼の空洞で。
 噴き上がる不知火は光の奔流となった。
 日出ずる東方を象徴し、生気を司り活性化させる“木”気の雷を我が身を灼く程ぶち込み、
怒っているのか笑っているのか、多分本人にも判らないに違いない。
 
 とまれ、夜鴉は絶叫した。
 
 弾ける閃光に乗って、虎蔵の周囲に数珠また数珠が出現したのはこの時の事だ。
 惑星を守護する衛星の如く、規則だった動きで周りを廻る。
 
「仁義八行彼宿の霊玉天風矢来の豪雨と成りて疾く彼の辣奸をォォォォォォォォォォォォォォォ」
 
 雷と怨嗟をこってりと塗りたくられた呪言の詠唱は一息に、
 
「う・ち・く・だ・け」
 
 放たれた。
 たわめられた霊圧に耐え切れなくなった珠の群れは、時と場を選ばぬ砲弾のスコールと化す。
 一足先に吸血鬼めがけて殺到する霊宝霊珠を追い、虎蔵もまた飛天夜叉の勢いで急速降下した。
 
 懐に入れて抜いた右手が、毎度ながら出鱈目なサイズの凶器を掴み出して振りかぶる。
 刃渡りだけで虎蔵の長身を遥かに上回る――刀身には『要銭不要命(命は要らん、金欲しい)』
と刻まれていた――長大な青竜刀だ。
 落下し様に迸らせるのはこれ以上無い程真っ向上段な唐竹割り、とついでに一声。
 
「斬り捨て御免!!」

416 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:05
>>414 >>415 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
「ハ、ハ、ハハハ――――ハハハハハ! 見事だ、見事なイカサマだバケモノ奴(め)!」
 
 自らの有様を棚に上げて哄笑するアーカード。
 月を暗く覆い隠す漆黒の翼、同じ色に塗り込められた鬼神の如き形相。
 闇夜の頂点に君臨するバケモノが、闇を切り裂く雷光を背負い、圧倒的な存在感を叩きつけてくる。
 真円の月が、漆黒に染まったバケモノの、そこだけは伽藍堂な腹の穴を満たしていた。
 
 最前まで男がいた筈の場所に残っていた木片の残骸を踏み砕きながら、一歩前へ。
 
「そうだ、もっとだ――まだ、まだ、まだまだだ。
 まだあるだろう、もっとあるだろう、私を打ち倒そうとしているだろう?
 まだ足りん、まだまだ足りん、私を打ち倒すにはな」
 
 赤黒い身体が闇に解けていく、それは闇と羽音と甲高い泣き声へと変じていく。
 次から次へと、次々次々次々と。
 生物的なフォルムを放棄した、蝙蝠状の物体が、不死の王に月光を取り戻さんとバケモノを取り囲む。
 
 ――――その包囲網が爆散した。
 闇蝙蝠が潰れ、砕け、闇の飛沫を撒き散らして消滅していく。
 それは一度ならず二度、三度、四度五度六度と何度も何度も。
 それを行ったのは――珠。
 バケモノが放った、自らの霊力を載せたいくつもの珠が、闇を裂いて潰して砕いているのだ。
 まるで意志ある生き物のように行っては帰り帰っては行き、有り得る軌道を有り得ぬ軌道も描いて砕く。
 数秒と経たずに、辺りの蝙蝠群は完膚なきまでに殲滅し尽くされた。
 
 遅滞なく容赦なく、次いで珠はアーカードを指向し、流星の如き尾を引いて降り注いでゆく。
 
「それがおまえの次なるカードか――ハハハッ」
 
 軽く笑いながら、両手の二挺拳銃を持ち上げる。
 迫り来る珠の群れに向けて撃つ、撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。
 当たらない、珠は変幻自在自由自在、幻惑するかのような軌道を描き続け、決して一定しない。
 
「ハハ――――――ッ」
 
 笑声を、粉砕音が掻き消した。
 アーカードの頭部が、珠に叩き潰されて上顎より上を消失させてしまっている。
 これでは、如何なバケモノであっても嗤う事などできまい。
 頭を失って傾ぐ身体に、しかし珠は一切の遠慮も慈悲も与えない。
 腹に胸に肩に腕に足に背中に腰に首に顎に掌に股間に肋骨に背骨に腰骨に心臓に肝臓に腸に――――
 ありとあらゆる場所に降り注ぎ叩きつけ穴を開け、不死の王をズダボロにし尽くす。
 無事であるところを探す方がよほど困難なほど破壊し尽くされた吸血鬼へ。
 
 大上段、真上から急降下――轟音と共に振り下ろされた青竜刀が、真一文字に両断した。
 重く、強く、鋭く、圧倒的な斬撃。
 刃自身も月光を享けて、尋常ではあり得ない輝きを放っている――今は血に塗れ隠れているが。
 
 支えもバランスも何もかもを失った屍体が、倒れた。
 とめどなく止めようもなく流れ続ける血が、辺りを正しく血の海に染め上げている。
 人一人の器にはどう考えても余る量の血を流し、不死の王の屍体は血の海に沈む。
 ピクリと動くこともなく、生の気配など微塵も感じさせることなく――――
 
 どう考えても、それは死んでいる。

417 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:06
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>416
 
 大刀が血糊を垂らして持ち上がり、また黒翼が腥い大気を攪拌して羽ばたき、どちらも風を巻く。
 踝まで血の海に浸かった虎蔵は、己が斬戮した屍(かばね)の屍を睨み据えた。
 荒い息を飲み下し、口を開く。勝者が口にする言葉は一つしかない。
 凱歌(かちどき)だ。
 
 であるのに――大地は揺れた。
 
「――んな訳あるかあッ!」
 
 ひと蹴り足を踏み鳴らし、烏天狗は怒号する。
 蒼白く光る左眼よりも、狂い豹を思わせてぎらつく隻眼の方が、余程常ならぬ滾りを湛えている。
 青竜刀は右手一本で支え、空いた左手だけがぴん、と横に伸ばされた。
 人差し指、中指のみを垂直に立て、後は握り込む。道教の達者が剣指と称する呪印である。
 静止したのが一瞬なら、一つ所に止まるのも一瞬だけだ。
 次々と空間に呪の形象を刻み、血の海の中心から眼を離さず虎蔵は吼え立てた。
 
「千回殺しても万遍無く起きて来る手前ぇらが、この程度でくたばる筈無かろうが!
 見せろ。
 死んでも死なん、殺されても殺されんと誇って笑って高ぁ括る貴様のしゃッ面!
 見せやがれェ!」
 
 印の動きに呼応するかのように、浮遊していた必殺の弾丸が新たな動きを見せた。
 虎蔵の眼前に結集したかと思うと円陣を組む。数珠の形を取り戻した霊珠は緩やかに、そして
次第々々に大車輪の旋回を見せ始める。
 剣指が夜空の天ッ辺を突き指す。虎蔵は熾烈極まる語調で呪願文を放った。
 
「破邪剣正ッ! 勅吽轟!」
 
 一過、霊珠は光の――少なくともそう見える速度で、剣指に沿って垂直に飛び立った。
 夜空の彼方に消え去った光の渦は、瞬く間に煌く星の一点と相成る。
 
 甲走る残響が生じたのは、それとほぼ同時だ。
 鏑矢(かぶらや)のような、耳を鋭く突く唸りを引いて、大量の何かが落ちて来る。
 今、数珠が星影と消えた辺りから、蒼月を映し、夜光を一杯に反射させ、後から後から陸続と。
 鋭く細かいそれは、それらは鋼だ、刃だ、武器だ。
 
 刀、剣、槍、矛、戟。果ては呉鉤、大斧、狼牙棒等々々。全て霊珠が変じし武具である。
 数を問うのは無理だろう。空恐ろしい事に、実際の雨粒を数えるのにも等しい物量なのだ。
 魔を断ち神すら斬り刻む――断魔斬神の秘力を込めた利剣の雨が、闇の支配全てに降り注ぐ。
 
 さかしまの剣山地獄の矛先から免れ得ているのは、青竜刀を振り回して狂笑する虎蔵本人と、
如何した訳か朱乃だけであった。

418 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:07
>>417 アーカードVS長谷川虎蔵『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 見渡す限り刃金の大地、鋼の地平、凶器の展覧会――武器、武器、武器、人が人たる証左でもある道具。
 それに刺し貫かれ切り裂かれ押し潰された、アーカードの残骸。
 鉄の暴力に埋葬されたそれは、今現在何処にあるのか視認できない。
 その中で唯一人狂笑を張り上げ、青竜刀を掲げるバケモノの背後より――――
 
「――――死ぬほど、痛かったぞ」
 
 死んだ声が響いた。
 不死の王――元より生者などではあり得ないが、さりとて死の中にあって死を生きるバケモノ。
 常に愉悦と狂気と狂喜を声に張り付かせていた声が、その色を失っていた。
 声に振り返ったバケモノが見るは、
 
「だが、死ぬほどの目には慣れているのでな」
 
 ――――骨と皮と血と肉と生と死と不死が無様に絡み合った出来損ない。
 剣山のような武器の筵の上でキチキチと音を立てながら、少しずつ屍体の形を成そうとしてゆく。
 少しずつ、少しずつ……だが確実にあり得ない速度で。
 
「それにしても、ここまで手酷く殺られたのは久しぶりだがね」
 
 未だ自由の利かないらしい肉体の切れ端は、その場で僅かに這いずり回るのみ。
 まだ腕を成していない腕で、武器を掻きながら。
 まだ足を成していない足で、武器を掻きながら。
 半欠けの頭部で、バケモノを見上げる。
 
「さて、次なる策(て)は何だ? まだ足りんぞ、私を滅ぼすには」
 
 それでも、嗤う。
 余裕など微塵も感じられない風体で、何もできない肉体で。
 なのに声音には、気が付けばいつもの色が戻りつつあった。

419 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:09
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>418
 
 最も深い所から、最も昏い闇に塗れた声が云う。
 生と死をどろり一つに溶かしたその姿。
 死が、死すら死せる死それ自身を繕っていく境目の無い世界――真祖(ダーク・ロード)だ。
 
「あはははは! そうかそうか、まだ足りんか、もっとやらなきゃ駄目か」
 
 足の踏み場も無い剣の荒れ野の只中で、最も巨大なる一剣が天を突く。
 破顔一笑、迎え相打つ構えは右八双。
 通常の刀の間合いではない。が、刀も尋常ではない。
 このまま振り下ろせば、吸血鬼は再び大根のように両断されるだろう。終わらぬ命に対して、
意味ある事か如何かはさておき。
 
 黒衣の体勢が弓なりに反る。翼も眦も吊り上がる。
 
「気が合うな。俺もまだまだ喰らわせ足りん!」
 
 刹那、銀の大蛇が閃いた。
 袈裟懸けの斬撃は正面の吸血鬼にではなく、反転した背後へ向けてだ。
 再び大地は鳴動した。今度は比喩ではない。
 それは鍔元まで地面に撃ち込まれた大魔剣の重量故であり、そしてそれだけではなかった。
 
 震動は収まらない。
 寧ろ高まっていくばかりの揺れは、大地に亀裂を走らせた。蜘蛛の巣状に連鎖する破壊は地表に
ひび割れを広げ続ける。
 倒れた朱乃を正確に外に置き、虎蔵と魔王とを中心とした直径十数メートルの圏内を廻り廻る
断裂を線とするならば、それを結ぶべき点は刀森剣林の連なりだ。
 時に経(たていと)となり、また緯(よこいと)となって、地割れは一つの形を成していく。
 それは図形だった。描き手の意思が確かに介在する幾何学模様だった。
 
 矢継ぎ早に大気が騒乱する。無手の虎蔵が両手で結んだ剣の指と呪願文であった。
 
「居収五雷神将、電灼光華、上則護身保命、下則縛鬼伏邪、一切死活滅道我長生!
 急急如風火雷令! 勅!!」
 
 注がれ続けた酒が、遂に杯の張面から溢れ落つ。そんな情景を思わせて大地は砕けた。

420 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:09
>>419 続き
 
 雪崩のような音を立て、割れた地面は急速に浮き上がる。
 苦悶する地母神の衣を押しのけ、膨れ上がって現れ来るものがある。
 中を細かい方形に仕切られた八角形と、それを取り巻く巨大円。
 化物二匹を載せた新しい大地だ。白光を滲ませる大盤だ。
 
 と、地の底から引かれるような動きで、並び立つ剣が盤面に潜り始めた。
 一振り消えるたび、盤には青光る字句が刻印される。
 東西南北、八卦に九字。九星並びに十干十二支。
 あれ程林立していた刀剣は瞬く間に姿を消しつつあり、辺りは霊字輝く巷と変わる。
 
 それは万剣をして張り巡らされた魔陣の完成でもあった。
 
 捕えた妖物の三魂七魄を余さず残さず無に還す。
 天機太陽、地維太陰に叛せし邪魅魔障悉くを剋す秘呪密法、世に呼んで『封殺』と云う。
 本来、幽幻道士の本領たる奥義だ。方術に精通しているとは云え、これは虎蔵の埒外に当たる。
 術者が見れば瞭然の、式の組み立てに精妙さを欠く力押しの様からもそれは明らかだ。
 
 だが専門外であるが為に、原初的であるが為に――その技は圧倒的なまでの“力”に充ちていた。
 
「月の都を剣太刀(つるぎだち)、身は三界の狩衣(かりごろも)。
 肩も鯔背(いなせ)に闇斬らば――哈ッ!」
 
 朗々と呪歌を奉じる姿は、まるで舞台役者が大見えでも切るかのようだ。
 ずん、と柄を蹴って最後の大青竜刀を地に送り、ざんばら髪を乱して虎蔵は振り向いた。
 
「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近くば寄って眼にも見よッ。
 長谷川虎蔵が一世一代! 飛び六方の卍舞い!」

421 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:10
>>419 >>420 アーカードVS長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 舞台は光に、絢爛たる破邪に満ちて――役者の舞いと口上が、崩壊に華を添える。
 不死すら殺す破陣のただ中に捕らえられたアーカードは――光に圧殺されつつあった。
 武器という武器、力という力がアーカードの『封殺』という一点に凝集され、叩きつけられる。
 荒削りな呪紋様式でさえ、原始的な力を以てアーカードの存在に否定を突きつけてきていた。
 
 充ち満ちる光、光、光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光光――――!
 
 奔流、洪水、暴力さながらに、アーカードというちっぽけな闇を洗い流さんと殺到する光光光。
 全てを凌駕する光の中にあって、あまりに矮小なその闇は、
 
「ハ、」
 
 その中で、
 
「ク、ハハ」
 
 消え去りそうな程小さな狭間に押しやられながら、
 
「ハ、ハハハハッ」
 
 それでも、
 
「ハ、ハハハハハハはははハハハハハハハHAハハハ覇ハハハハHAHAHAHAHAハハハハハハハハハ
ハハハハハハハはハハハハハハハッハハハハHAハハハハククハハハハはハハハハハハハHAハハハ
ハハハハ刃ハハハハハハクハハハハハハ破ハハハハハHAHAハハハハハハハハハハハハハハッ!」
 
 光を圧倒して、嗤う。
 壊れたかのように、壊そうかというように、楽しそうに愉しそうに嬉しそうに哀しそうに。
 抑えきれないかのように抑えようともしないかのように抑える術を知らないかのように。
 
 嗤う、笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う嗤う唯々笑う笑う笑う嗤う笑う笑うワラウ嗤い続ける――――

422 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:11
>>421 続き
 
 闇が、笑声と共にその領域を主張し始めた。
 破損だらけで間違いだらけでエラーだらけの不死から、壊れた蛇口のように闇が漏れ溢れ出す。
 墨より夜より闇より漆黒より何よりも濃い黒が、光へと溶け込み、侵食を開始する。
 闇と混ざり合った光は、本来自分が作り出すべき存在であるはずの影に呑まれて、姿を失っていく。
 光を捕食した闇は、更なる光を求めてその領域を広げていく。
 力尽きた闇は光に負けて消滅していくが、次なる闇が、次々なる闇が、次々次々なる闇が溢れ出す。
 渦を描き螺旋を描き、閃光を掻き消し破邪を打ち消し、貪欲に光を叩き潰していく。
 
 ――――その中心にあるアーカードは、闇の凝った百眼魔人と成り果てていた。
 漆黒の塊、表面に浮かぶ瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳瞳。
 眩しそうに目を細めるそれらは、嬉しそうに光を取り込み呑み込み、闇の制圧下としていく。
 黒い触手がその数を増やし、今や光と闇は拮抗状態――否、明確に光は押され続けていた。
 刻一刻と光は輝きと領地を奪われ、力を失くして消滅していく。
 荒れ狂う闇と光の飽くなき闘争の果てに――――
 
 闇が瞳が不死が、光を掻き消した。
 後には唯圧倒的な、闇。
 
 巨大な闇の塊が、月光を覆い隠すように、否、我が身に一身に受けようと宙空に一つ。
 その闇の球体を、紅い腕が突き破った。
 後を追うように現れたもう一本の腕が、闇の亀裂を広げてゆく。
 その様はまるで、闇から生まれる雛の様であり――――そんなかわいげのある代物では無論あり得ず。
 ズルリ、と這い出してきたのは。
 
 血に染まったかのような深紅のスーツを纏った――無傷のアーカード。
 表情には、生誕と感嘆と驚嘆に染まった喜びを浮かべ。
 白い手袋に包まれた両手を打ち合わせて、バケモノへと拍手を送る。
 
「見事だ。五百年を超える死の中、これほどまでに追いつめられた事はかの男を除いてかつてない。
 いいや、奴とてこのレベルまで私を滅ぼせはしなかった。
 一歩間違えれば、間違いなく遺漏なく完璧に私は滅んでいただろう。だが……」
 
 拍手は止み、残ったのは前進の靴音。
 
「私は生き延びた、死に延びた。この通り私は未だ此処にある」
 
 バケモノの眼前で拳を振り上げ、
 
「見事な舞台だった……だが、もうそろそろ幕切れだ、残念なことにな。
 どんな舞台も、どんな物語もいつかは終わる。終わりのない物語などない。
 それがどんなに喜劇であっても、悲劇であっても、悪夢であっても、どれほど名残惜しくともだ」
 
 バケモノの顔面へと振り下ろした。
 
「さぁ、クライマックスはどう飾る?」

423 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:12
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>421 >>422
 
 形容し難い音響が炸裂した。
 
 虎蔵の顔面はひしゃげた。衝撃が噴出する先、取り敢えず後方へ弾き飛ばされる。
 随分と風通しの良くなっている腹部は、たっぷりと風精を吸った事だろう。
 魔銃に匹敵する破壊を生んだのは一つの肉。化物の力で揮われた、化物の拳だ。
 
 平時なら避ける手立ては幾らでもあったろう。
 だが今、精魂を傾けたと云っていい『封殺』が破綻した時、術者たる虎蔵は全身“虚”の状態に
陥らざるを得なかった。
 敵からの賞賛を許し、接近を許し、膺懲の一打まで許したのもむべなるかな。
 
 光の陣備えから一転して闇が再支配した大地を、数メートルも擦りながら薙ぎ倒される。
 同じ距離だけ地面に轍(わだち)の痕を残し――止まった。
 止めたのだ、虎蔵自身が。
 即座に、それまでに加えられた運動力を利用して跳ね起きている。
 ぴん、と二枚の黒羽が広がった。触れただけで折れそうな緊張感の“静”を保つ。
 黒衣そのものもだ。
 半身になり、腰を深く落とす。弓弦(ゆんづる)を手にしたかのように、左手を前に、右手を
大きく引いた姿勢を崩さない。
 
 思い切り力を溜め、思い切り“ぶん殴る”。これはそう云う構えだ。
 単純極まりない。だが、殴ろうとするのは人から隔たる事遠い異類である。
 只の単純では済まないし、済まさせない。――今し方殴った方の吸血鬼王が“死なない”と云う
だけの冗談事を以って、光の包囲網を無してみせたように。
 
 在る眼と無い眼、どちらも滾る双眼はその怨敵を捉えて逸れない。
 昏い闇色の天、黒い闇色の地、そして紅い闇色の魔王へ陰々と、ざらついた声が夜を渡った。
 
「本日只今千秋楽。……お代は見てのお帰り、じゃ済まさんぞ」
 
 虎蔵の右拳からは軋みが洩れていた。
 自身の掌の骨を握り砕いているとしか思えない異音を立て、緊く硬く絞られた拳の中から、更に
一つ洩れ出た。幾筋もの紫電の瞬きも。
 
「幕だ。演目は――終わらん手前の命の“終わり”!」

424 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:13
>>423 続き
 
 吼えて瞬息、振り上がった右拳で雷火の筋は束になる。
 拳からニの腕、一の腕までを取り巻き、狂相を蒼白く照らし出す。
 右腕の筋肉が倍も盛り上がった。――錯覚でない証拠に、膨れた袖口は内部より破けていた。
 
「義血侠血光って唸り、因果の星宿二十と八! 七曜重ねて五雷を得れば、巡る十干甲乙歳星!
 六妄晴れなば斬妖滅鬼、足し割り掛け引き六十四卦!!
 一切阿修羅一切夜叉一切羅刹、鬼神諸天皆大順伏!!」
 
 己の生命を繋ぎ止めていた雷気を、言魂によって天地万物を爆砕する火気へと“相生”させ。
 
 飛躍した。
 
 魔性の速度で馳せる虎蔵の姿は一人ではない。
 羽ばたく翼の背後には陽炎じみた、だが確かに同じ顔、同じ構えの黒衣が幾人も連なっている。
 実体無き分け身、それは絞り出された強大なエネルギーが時間と空間まで歪めたが故であったか。
 放たれた矢の如く、烈火迅雷の“動”の狙う先は如何なる生物だろうと存在する生命の中心――
 
 振り撒く叫喚の中から真っ直ぐに、最短距離の線を通って吸血鬼の左胸へと、
 
「三千大千世界(みちおほち)の果てまで素っ飛びやがれェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!」
 
 拳が一つ。

425 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:14
>>423 >>424 アーカードVS長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
 
 紫電と破壊を撒き散らす、バケモノの拳が唸る。
 夜気を灼き、夜気を裂き、夜気を閃光に塗り潰しながら、スパークの弾ける音が耳障りに鳴り響く。
 あるいは先の破陣にも勝る力を拳の一点に凝集させ、まっすぐに吸血鬼の左胸――心臓へと伸びてくる。
 いつしか、紫電はその性質を爆炎に変えて、雷気よりも苛烈な熱気を放出していた。
 魔を焼き浄化するは、なるほど古来より炎だ、それは正しく吸血鬼を殲滅するための拳であると言える。
 
 その、必滅の一撃が自らに向けられているのを自覚した上で、それに対するアーカードは……一つ嗤う。
 一歩力強く踏み込み、地を踏み潰すかのように力を下半身に蓄える。
 骨が肉が腱が軋むほどに踏みしめられた足から、腕へと力を伝達する。
 その力を、弓引くようにしなる右腕が更に増幅していく。
 驚くほど基本に忠実な、膂力に頼りがちなバケモノとしては意外といっていいほど、実直で愚直な拳。
 地を噛んでいた足が、力の反発に耐え切れないといったかのように、前へと滑り出る。
 無論そんな筈はなく、そのスリップはより確実に力を叩き付けるための予備動作に過ぎない。
 
「最高の一撃には、最高の一撃で報いよう」
 
 蓄えられた力の具現たる拳を、バケモノの拳目掛け、捻りを加えて一直線に解き放った。
 空を裂く音は、弦が鳴る音にも似て甲高く澄んで、清冽――これがバケモノかと思うほどに。
 
「終わらせられるモノならば終わらせてみせろ、この命!」
 
 極限まで貌に刻み込まれた嗤いは、生物でもバケモノのそれでもなく、唯罅割れた仮面としか見えない。

426 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:14
>>425 続き
 
 ――――そして、対極で両極で究極の拳が衝突した。
 
 二人を中心とした世界に、爆音と爆炎が爆ぜる。
 力を封じたバケモノの拳から、破壊が炸裂し爆裂し裂帛が迸る。
 打ち据えたアーカードの拳が潰れひしゃげ、腕の尺が短くなっていく――潰されて、消し飛んでいく。
 引き換えにバケモノの拳も、衝撃に耐え切れず骨が粉々に砕けていたが。
 
 爆発はそれだけに留まらない。
 夜闇を塗り潰して塗り替えてしまえとばかりに赤々と明々と紅々と朱々と火柱を上げる。
 それは血よりも暴力的で絶対的な、アカ。
 無分別な破壊は、舞台はもちろん、二人の役者と一人の脇役にすら何ら分け隔てなく牙を剥く。
 圧倒的な暴力の光と波に、赤黒いアーカードの姿が飲み込まれてゆく……哄笑と共に。
 
「ハハハハハ、どうやらこれで今宵の舞台は幕引きのようだな! ハハ、ハハハッ。
 残念だ、残念だが次の舞台を楽しみにしておくとしよう! ハハハ――――――――――――――――」
 
 その笑い声すら轟音に飲み込まれ、不死の王をもろともに掻き消していき……。
 場に残ったのは唯々圧倒的なまでに吹き荒れる炎、爆発、閃光。
 耳を聾し、目を灼き、呼吸を焼き付かせる大破壊――――!
 
 それすらも数秒後には嘘のように消え失せ、後には何も残っていなかった。
 あれほどの闘争の跡とは思えないほどに、何も。
 何も、何も、何も――――

427 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:15
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』
>>425 >>426
 
 ――在る筈は無いのに音がした。
 
 幽かな風がそよいで、それから。
 きん、と鼓膜に残る唸りが引かれたかと思うと、黒影が垂直に天下った。
 女の行く手に立ったのは、満身で創痍に非ざる所の無い、ぬばたまの凶鳥が一羽である。
 小脇に喪神したままの朱乃を抱え、長谷川虎蔵は低い声で云う。
 
「誰が次なんぞやるか。こんな阿呆くせー事は二度と御免だ」
 
 軽く苦笑し、懐を探った。煙草を出すと一本抜いて咥える。
 
「大博打、元も子も無くしてすってんてん、ってな。俺ぁもう鼻血も出ん。――やれやれ」
 
 躯が崩れた。
 
 渦のような喧騒が湧いた。
 何所に止まっていたのか、鴉の群れが一斉に舞い上がったのだ。
 寄せては返す波涛の如く、羽音と鳴き声は収まらない。時ならぬ黒い喧騒は、上空をぐるぐると
循環し続けている。
 
 取り落とした遊女と同衾する形で大地に寝た虎蔵はぼんやりと呟いた。
 口の端の煙草が揺れる。
 
「さっさと殺れ、と云いたいが――その前に一服はさせろよ、なあ?」

428 名前:アーカード ◆AoARUcArDs投稿日:2003/08/16(土) 01:17
>>427 アーカードVS長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』 エピローグ
 
 渦を巻いて飛び立つ黒翼が、何もなかった筈の空間を闇色に拭い去っていく。
 後には、降り注ぐ漆黒の羽根に彩られた赤黒い影。
 あれほどの破壊に巻き込まれた筈なのに、またしてもダメージらしいダメージを感じさせない。
 余裕と憐憫の嘲笑すら顔に貼り付けて、アーカードは闇の濃い路地裏で二人を見下ろしていた。
 
「楽しすぎて、危うく仕事を忘れるところだった」
 
 そう言って懐に手を突っ込み、ズルリと引き出す。
 血色のコートから現れた右手に巨大な漆黒、左手に凶暴な純白、暴力を以て暴力を制する二挺の銃。
 すなわち、ジャッカルに454カスール改造銃。
 法儀礼を施された爆裂鉄甲弾は、特に対吸血鬼に絶大な威力を誇る。
 その圧倒的な鉄火を放つ銃口が、二人を指向した。
 
「待ってやってもいいのだが、私は少々忙しい」
 
 銃口は小揺るぎもしない。
 
「今回はかなり特殊なケースでね。子(ゲット)がこれほど早く独立するなど聞いた事がない。
 あんな雑魚が特例だったとは思いにくいのだが。あるいはその女が特別なのか」
 
 突如として、今まで向いていた方向が間違いであったかのように、銃口が夜気を切って持ち上がる。
 横に倒した銃身が今度は左右を指向し、双翼を成した両腕から瞬く間もなく二度、轟音が立ち上がった。
 放たれた銃弾に呼応して右1.5km、左2kmの距離より、破壊された吸血鬼の断末魔が二つ、響き渡った。
 そして、塵へと還る音――もっとも、それをアーカード以外が知覚できたかは分からないが。
 
「どうやら、前者らしい。討ち漏らした奴らも、既に転化を果たしている」
 
 夜空の頂で輝く真円の月を見上げながら、誰に聞かせるでもなく舌打ち一つ。
 これからの瑣末事を思って、うんざりしているのか。
 
「今回の件、騒動そのものはあのドラゴネッティのはぐれ者が起こしたのに間違いないが……。
 それに便乗した者達がいるようだ。忌々しいことに、正体が分からない」
 
 思い出したかのように、二人へと視線を戻して、
 
「そういうワケで、私は忙しい。一服つけるのを待っている余裕はない。
 なので、後はおまえに任せる。好きにしたまえ。女一人の手綱くらいは握っておけるだろう?」
 
 楽しいとも忌々しいとも取れる表情を浮かべて、そう告げた。
 それきり二人からはまるで興味を失ったといった風に、きびすを返して闇へと溶け込んでいく。
 
「――――それに、その方が再戦のいい口実になる」
 
 消え行く背中が、キチガイじみた嗤笑に揺れていた。
 それきり、まるで誰もいないかのような静寂に辺りは包まれ、残されたのは唯二人。
 否、今一つの気配が、入れ替わりに闇の奥から生まれた。

429 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:18
アーカードvs長谷川虎蔵 『ぬばたまの夜の街に燦爛と燃え』 エピローグ
>>428
 
 寝転がったまま、心底面倒臭そうに一つの目線だけがその方へと送られる。
 陰火のように現れ出たのは若い男だ。
 暫し、全身酷い様の虎蔵と似たような態の朱乃を眺めたかと思うと、男は懐から短刀を抜いた。
 顔色と同じ暗い三白眼、それと剥き出した犬歯を光らせて、二人の方へ歩を詰める。
 
 紛う事無き吸血鬼――ではあるが、悪夢に紛う“退場”をした千両役者の代わりにしては、随分
格の下がった端役と云える。
 冷たい殺気を横溢させ、男は近寄りながら刃を振り上げようとした。
 
「余計な真似すんなよ」
 
 虎蔵の言葉が自分に対して吐かれたものでは無いと覚ったか、また急速に高まり出した妖気に
気付いたか、男は愕然とした表情で足元を向いた。ひッと甲高く息を吸う。
 
 たくさんのものが男を見ていた。
 苦悶する胎児の細い眼や、髑髏の虚ろな眼窩や、はたまた造作のねじくれた貌が。
 地に落ちた影――男自身の影を覆い、異形どもを詰め込んだその作り主は、男の少し後ろにいた。
 女だ。品の良い和服を着ている。
 月光を眼鏡のレンズで跳ね返し、女は利鎌の如き笑みを浮かべた。
 ぞろり、と闇が闇の中から這い出た。
 
 盛り上がり、既に本当の死人と等しい顔色の男を包み込む。
 魂消る絶叫。そして骨肉を噛み千切り咀嚼する昏闇のうねり。
 
「この連中を送るにはきちんと心臓を突き通した方が綺麗なのだが……まあ腹に収めりゃ同じだし」
 
 胸の悪くなるような物音を気にした風も無く云い、笑みを絶やさず女は近付いて来た。
 虎蔵は今度こそうんざりした顔を作る。
 彼の怪しげな知己の中でも極めつけに得体の知れないこの女は――名を麻倉美津里と云った。

430 名前:長谷川虎蔵 ◆QaSCroWhZg投稿日:2003/08/16(土) 01:20
>>429 続き
 
「おい、呼んでないぜ」
「当然さね。私ゃ自主的に見物に来たのだから」
 
 美津里は二人の脇に立った。ぐるりを見渡す。
 
「騒ぎの火種になった舶来物は如何でも良いのだが、ご丁寧に其処かしこで油を注ぎ足してた連中、
それをちょっとね。
 “種の拡散分布と血液の安定供給を維持するためのカウンターアベレージ計画”とゆーてな。
 判るかな? 判んねーだろうなー」
「判んねーよ」
「先ごろ、浅野某と云う邪学者が斯界に問うた論文さ。中々に読ませると感心してたら、乗せられ
たんだか乗ったんだか、兎も角そう云う輩がもう出たの。つまりこれ」
 
 便乗犯の一人だねぇと指差す先で吸血鬼、もとい既にその喰い残しは、軽い発破音と共に塵状の
噴煙となって消滅した。
 そちらへ顔も向けず、虎蔵は大分焼け焦げた朱乃の髪を摘んでいる。別段興味も無さそうである。
 咥えた煙草の先で頼りない火花が弾け、小さな火が点いた。
 
「この国原産のか。で、わざわざ物見遊山たぁ、お前も大概暇だな」
「何、そう馬鹿にしたものでもない。真逆こんな所に『不死の王』が現れようとは思わなかったし」
 
 『魔女』は袖で口元を押さえ、くつくつと笑う。実に愉しそうだ。
 
「いや、彼とはちぃと訳有りなのさ。久しやあれから幾星霜、大いに久闊を叙したかったのだけど。
 横槍は無粋と遠慮したのだよ。此処は大いに喜ぶ所だろう、お前さんとしては」
「ああ全くだ。嬉しくって涙が出るね」
 
 虎蔵の物云いを柳に風と聞き流し、逆に美津里は皮肉そうに朱乃を見て、それから虎蔵を見た。
 
「しかしお前あれかね、女の為に命張って、女の前で死ぬのかね。無様やなー」
「……五月蝿ぇよ」
「あはは、労わってあげようかえ?」
「笑えねえやな。それこそ真っ平だ」
 
 せせら笑う首が静かに横になった。美津里は面白そうに覗き込む。
 
「云い忘れた」
 
 隻眼が開き、じろり。
 
「そんなに暇ならお前な、朱乃の身の振り方でも整えてやれよ。今日日、夜刀の神なんざ流行らん
のだから」
 
 また閉じた。
 今度は開かなかった。
 
「自分でおやり、自分で。あんたの敵娼(あいかた)だろうに。
 大体骨絡みに乱痴気騒ぎが好きな癖に、気の無い振りしてお誘いをすっぽかすのはいかんねぇ」
 
 なあ、と美津里は、この場にいない誰かに同意を求めるように呟き、空を仰いだ。
 
 天では猶も鴉の群れが喧しい。
 長谷川虎蔵の口元で垂れた煙草は、去って行く同胞(はらから)たちの後を追いかけるように、
ゆらゆらと紫煙を立ち昇らせ続けるのだった。